昭和10年(1935年)5月25日生、昭和33年慶應義塾大学法学部政治学科卒。NHK国際局、報道局、経営企画室主幹、監査室主幹、会長室主幹を経て平成4年退職(現在、会友)。
NHK在職中は、人類初の、アポロ月着陸中継、NHK-BBC最初の同時衛星中継交換などのパイオニア的業務や、国際協力主幹として放送機関相互ならびにODA(政府開発援助)放送分野のアジア、アフリカ、中南米諸国との国際協力に従事。
平成5年より日本でのLSE(London School of Economics & Political Science)国際社会経済フォーラム会長をLSE学長より委嘱される。現在まで、国際交流基金、の援助を得たり、国連大学、NHK、民放、国際問題研究所、国際金融情報センターとの共催や、JETRO、社会経済生産性本部、日本経済新聞などの後援を得たりして、27回のフォーラムを開催。LSEと協定のある、東京大学、慶應大学、一橋大学などの間接的協力を、時折、得る。
1996年より1998年までLSE Visiting Fellow、1998年12月より LSE Asia Centre のHonorary Associate なる。2000年初めよりG8リサーチグループ・メンバー。計画行政学会、国際開発学会、英国王立国際問題研究所、IIC 会員、日本経済研究センター特別会員。交詢社、外務省国際会議、英国政府シンクタンク等で講演。
履歴 |
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宇田 信一郎 (うだ しんいちろう) |
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1935年 |
5月25日生 |
1951年 |
麻布高校 卒 |
1958年 |
慶応義塾大学法学部政治学科 卒 |
1960年 〜63年 |
ロンドン大学 政治経済学院(London School of
Economics & Political Science)にて国際政治経済研究に従事、この間、欧州各国を訪れる。 |
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主な経歴 |
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1 |
慶大卒業後、当時日本で資本金3番目の株式会社飯野海運に入社したが、安保条約改正にに苦闘している父の姿をみて日本の政治の将来を考え父を補佐する意思を秘め、英国に赴く。 |
2 |
英国放送協会(BBC)で日本向け放送に従事しながら、ロンドン大学で勉学。 |
3 |
帰国後、昭和40年に日本放送協会(NHK)に入局、国際局、報道局、会長室 を経て 企画本部総合企画室 主幹、監査室主幹、会長室主幹。この間、
- アポロ月着陸衛星中継、日英衛星中継番組交換、万博衛星中継に従事。
- 教育衛星放送システムに関する国連パネル会議の日本側代表団に参加。その他、ワシントンで世界通信放送機構等の国際会議、モスクワでの米・ソジャーナリスト会議など各種の国際会議に参加
- フィリピン、マレーシア、シンガポール、インドネシア、タイ、ビルマ、ネパール、バングラデシュ、中国、香港、台湾、ペルー、パナマ、メキシコ、パラグアイ等への政府関係等の放送分野国際協力調査団に参加。
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4 |
1970年代はじめ同時代の学者、官僚、企業人と80年に日本が直面する政治、経済、テクノロジーの問題に対処するプロジェクトを討議する「プロジェクト80」を組織 |
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著書 |
「政治と人間生活の接辺について」(1965年) |
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論文例 |
最近の論文はこちらからどうぞ |
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現代国家の指導理念(1955年) |
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農構造改善の経済発展における重要性についえて(1964年) |
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日本開発のための多中心社会の構想(1971年) |
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総裁予備選と議会制民主主義の危機 |
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日本経済の峠の時代(1986年) |
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講演等 |
外務省の国際会議で特別講演(英語)、交詢社等で講演 |
1990年 |
環太平洋諸国(15カ国―米、カナダ、オーストリアを含む)のトップの官界、財界、学界人で構成する「アジア経済協力会議」オークランド総会に出席。 |
1992年 |
米国国務省人物交流計画により、米国シンクタンクを歴訪。 |
1992年 |
- NHK定年、「会友」となる。
- 新政研究会代表となる。王立国際問題研究所会員となる。
- 夏、東欧・ソ連の崩壊、EUの統合、日米欧の貿易関係などの研究調査のため、1961〜63年に学んだロンドン大学LSE(政治経済学院)を訪問の際、学長からトヨタ会長へのオナラリーフェロー授与式の開催を依頼され実施。その翌日LSE国際・社会・経済フォーラム(日本)を設立し会長として運営することを要請される。
- メージャー首相の出席した「イギリスのEUにおけるリーダーシップ」と題する2日間の会議に出席。ただし、10日後には、イギリスはERMより脱退。
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1993年 |
LSE国際社会経済フォーラムの会長となり、第1回LSE国際社会経済フォーラムを国連大学と共催。以後、本年まで、25回開催。NHK、民放、国際金融情報センターと共催、日経、JETRO、社会経済生産性本部、日英協会等の後援を受ける。日本経済研究センター特別会員となる。 |
1994年 |
フランスのレイモン・バール元首相に招かれ、「21世紀の社会は―ことにマルテイデイアは―どのようになるか?」について2日間討論。 |
1996年 |
LSE Visiting Fellowとなる。 |
1997年 |
イギリス政府シンクタンクWilton Parkで「日本の国際的役割」と題する、一週間(丁度北海道拓殖銀行と山一証券の崩壊した時)のクローズドコンファレンスに招かれ、「日本経済はどこへ行くのか?」という題で講演。 |
1998年 |
LSE Asia Centre の Honorary Associateとなる。 |
1999年 |
Wilton Parkで「アジアとヨーロッパのパートーナーシップ?」と題するコンファレンスで「世界経済のグローバルマネジメント」についてプレゼンテーションを要請される。(6月)英国通産省のデジタル放送関係の会議に招待される。(11月) |
2000年 |
1月、世界的サミット研究組織、G7/G8Research Groupのメンバーとなる。7月、日本プレスセンターでフォーラム「沖縄サミットへの展望」を開催。 |
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その他 |
日英協会、計画行政学会 会員、交詢社 社員、麻布学園 評議員、Tokyo
Toastmasters Club member (Educational,Administrative Vice President歴任) |
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