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世界経済の安定と日本経済の再生 第二版 2002年9月6日 ―カナダでのG8サミット直前のシンポジウム発表原稿―(カルガリー大学6月22日)をそののち拡充・補填したもの。 宇田 信一郎 ロンドン大学LSE(政治経済学院)国際社会経済フォーラム会長、G8 Research Group ( Director, Tokyo Office)、新政研究会 (Institute for the Promotion of Policy Reform) 代表 はじめに> このホームページにある拙稿「世界経済の安定と日本経済の再生」を載せた後、9月下旬に、英国に参り、竹中経済政策担当大臣が、金融庁も兼括することになったことをニュースで知りました。氏の責任は、重大であり日本の生死を左右するものです。私は、昨年の9月11日にプレスセンターで、「戦略会議の目指したもの」というテーマでフォーラムを開催しました。小渕内閣の「経済戦略会議」によれば、日本は、2001年には、経済が回復し再生していなければ、ならないのに、何故そうならなかったのかを議論していくことが必要と考えたからです。竹中氏は、そのメンバーであったのですから、デフレ脱却も含めて充分な反省の下に、この難局を打開することに全身全霊を打ち込んでもらいたいと思います。すべての政治家も同様ですが、マックス・ウェーバーが示したように社会科学の分野に属する政策の策定だけでなく、その実施に当たる者は、「責任の倫理」と「心情の倫理」の両方に配慮しなければなりません。 評論家や学究の徒であるだけでなく、一国の政治に実際に取り組んでいる場合は、その発言は、国民に対して心理的に勇気と希望を与えるものでなければなりません。興味を刺激する立場でのメデイア番組や、ジャーナリズムに接触する場合も、「責任の倫理」と「心情の倫理」の両方を踏まえた上での温かい気持ちが伝わることに配慮することが求められます。このことは、竹中氏の指名した不良債権問題の解決の特別チームのメンバーにも望みたいことでもあります。以下の拙稿もそのような立場で呼んで頂ければ、望外の望みが叶えられたことになります。 先進国の例(イギリス、日本の例、米・独等) 開発途上国の格差 国連の目標 ODAの成功例、 日本の再生・サミットのリーダーシップ 世界共同体としての発展 等々 世界経済の安定を考察する場合は、まず、その不安定要因、危機の面にメスを入れる必要があります。その場合、私は、1)先進国における危機、2)南北問題、いいかえれば、先進国と開発途上国の格差拡大に基づく危機 3)統制経済(Command Economy)から、市場経済への移行過程での危機)を考察することが必要と考えます。また別の面(dimension)からは、「マーケットの失敗」と「政府の失敗」、をどう考えるか、あるいは『公的セクター』と『私的セクター』の関係、さらにもうひとつの面からは、実体経済と金融経済のバランスのもたらす危機ともいえます。 これから、私が何らかの関係で、かかわりのあったことを中心に、分析をこころみ、安定化のための、日本の役割についても、国際社会の側からは、どう期待して頂きたいのかという点にも触れ、随所に、では、サミットに何を要望したいかに触れたいと思います。 ただ、時間の関係で、統制経済から、市場経済への移行過程については、今日は割愛したいと思います。もうひとつ地域間の経済協定が、両大戦間のブロック経済のように世界全体の経済交流をさまたげない形で、進化させて行くことが出来るかどうかという見地から、EUやNAFTA,また企図されているASEANや東アジア経済地域構想なども、解析しなければ、なりません。EUについては、1962年イギリスの議会で、マクミラン首相の加入交渉開始宣言を傍聴して以来継続的に各段階の進展を見守っていますが、之も、割愛いたします。今の所は、地域内の安定化要因で、世界的規模では、バランスオブパワーに役立っているようにみえます。 それでは、不安定要因の分析に移ります。 先進国の危機 1)−1(イギリス) 1992年の9月7日、イギリス ロンドンのエリザベス2世国際会議センターで、王立国際問題研究所の主催で、内外から約500名の人を集めて、UK Presidency and
the World after 1992 という2日間の会議が開かれ、私も出席いたしました。冒頭約1時間にわたり、時のメイジャーイギリス首相は、イギリスは、EU議長国として、EUの統合に格段の指導力を発揮すると強調しました。 しかし、わずか10日後の9月16日には、イギリスは、欧州通貨の為替調整メカニズムであるERM(Exchange Rate Mechanism)から脱退することを余儀なくされました。この時ポンドは、対円で220円ぐらいであったものが、瞬間的には、160円ぐらいまで、暴落し、ジョージソロスが、イングランド銀行を負かしたとセンセーショナルに報道されました。ちなみにソロスは、LSE(ロンドンスクールオブ エコノミックス & ポリティカル サイエンス)時代には、20世紀の代表的な哲学者であり、「オープン社会とその敵」(Open Society and its Enemy)で有名なカール・ポパーのもとで愛弟子であったそうですから、人の運命というのは、わからないものです。私もソロスには、LSEで会った事がありますが、この後ソロスは、母国のハンガリーに巨額の寄付をした他、母校のLSEにも寄付しています。 しかし、わずか10日のあいだに、イギリスの首相の少なくとも目指していた方向とは、反対の方向に、事態が向かったということは、単に、ヘヅジファンドが、中央銀行を負かしたというものでなく、イギリス政府の国内のファンダメンタルに基づいてとられるべきマクロ的な経済政策と、EUという地域的な経済圏への対外的な経済政策との間に齟齬が生じたことにあり、また経済政策と為替を含む金融政策の間に統合して取られるべきイギリス政府の総合的な戦略に綻びがあったということであります。 つまり、その時は、イギリスは、厳しい、構造改革も手伝って、失業率が11%に達していました。したがって、金利を下げなければならなかったのですが、強いマルクに引き寄せられ、ERM(為替調整メカニズム)に加盟していますと、高い金利を続けざるを得なかったのです。一方のドイツでは、東西ドイツの合併にともない、東ドイツの通貨との交換比率を1対5にするべきところを、コール首相の東ドイツ国民に対する政治的な配慮の結果、1対1にしたのです。 事実現在でも東西ドイツの生産性格差は、1対7ともいわれ、最近のドイツ経済の低迷の遠因となっています。いずれにしても、ドイツは、年金で東ドイツ国民を食べさせなければならず、通貨価値を維持する必要があり、高金利にしなければならないので、イギリスのインタリストつまり取るべき政策とは、正反対になりました。 イギリスは、ERM(欧州為替調整メカニズム)から脱退するまえに、ドイツに対し、金利を下げるよう要請しましたが、ドイツが第1次世界大戦後の超インフレの苦い経験による、伝統的な反インフレ感情も手伝い、最後まで要請を拒否し、イギリスはERMから脱退しました。 この時、イギリスは、大変な痛手を蒙ったのですが、イギリスの名誉のために一言申し添えますと、メージャー首相は交代せず、解散もせず、さらに数年任期期間満了まで政権を維持し、ラメントと交代したクラーク蔵相の見事な手腕もあって、3年後の労働党ブレア政権への交代までに、見事に立ち直り、その後のブレア政権のゴードンブラウン蔵相は、更に経済を発展させ、今日では、世界有数の経済パーフォマンスを示しています。 GDPも戦後最悪期の世界13位から4位まで回復しました。 又、教訓としては、1国の財政政策と金融政策の融合性のとれた経済政策の必要性がたとえば、我国の経済財政諮問会議で認識されなければならないという事が一点と、ファンダアメンタルズを読取った世界最大のヘヅジファンドを経営するソロスに代表される経済的エレメントが世界経済に大きく影響する可能性が存在するということです。 1)−2(日本) 今のべたのは、為替とマクロ経済の運営に関する危機の面ですが、 次に、証券市場に関連する問題を申しあげます。 同じ、1992年の上半期に、日本の証券会社400社が、2300億円の営業損を発表しました。一方、外国の日本にある証券会社45社は支店勘定で400億円のプラス勘定を発表しました。当時は、日本の証券市場の時価総額が、680兆円あつたものが、280兆円に減少した過程ですから、外国証券会社の利益は、支店勘定で400億であっても、当時日本では、あまり導入されていなかったデリヴァテイヴなどの、手法で日本の証券価値下落で利益を得た海外顧客は、何十兆円という利益を海外に持ち去ったのです。 これは、当時バブルがはじけて、日本は、資産価格については、不動産税制を含めて、ウルトラ緊縮になるよう金融政策を実施していましたから、たとえ、景気下支えのための公共投資は、高水準でも、証券や、不動産価格の下落トレンドは、明確であると、外国の投資会社に判断されたためです。 ここでは、これ以上の詳論は、避けますが、日本の金融システムは、土地担保主義でしたから、これが現在に及ぶ不良債権(non-conforming loan)問題の源泉であり、イギリスと違って根本的な回復にはいたらず、空白の10年といわれる日本経済の困難な時期をもたらしたのです。 1) −3(世界的な連鎖) 私は、1997年11月18日からイギリス政府のシクタンクWilton Park で行われた、4日間の『日本の国際的役割』と題する会議で、『日本の経済はどこへ行くのか?』(Where is Japan’s Economy Really going? )というテーマで講演を依頼されました。ちょうど6ヶ月前の5月に東京のイギリス大使館から要請があつたのですが、私が、講演する当日(18日)イギリスでBBCのラジオを聞いていますと、17日に日本の北海道拓殖銀行が倒産したというニュースが流されました。また、会議の終わった翌々日には、現地の新聞で、日本の4大証券会社のひとつ、山一證券が自主営業停止を発表しました。 日本では、橋本内閣が六つの改革を進めようとしていたのですが、丁度1997年のはじめから、1998年にかけてアジアの危機が顕在化して来ました。IMF自身が直前まで優良なファンダメンタルと評価していたアジアの新興諸国(NIES−nearly industrialized countries ―and Asian Tigers)が、資本収支(capital account)の急速な悪化と、タイや韓国でGDPの43%に達していた、国内に導入された、巨額の外国資本が、短期に変更され、最後は、ヘヅジファンドの引き金でドルとの関係がくずれ、所謂アジアの経済危機が東南アジア、東アジアを襲ったのです。このために日本政府は、アジア特別基金を提唱したのですが、先進国の合意が得られないままに、事態が推移し、中国もその後2年後ぐらいには、同意したのですが、最初は反対でした。そうこうするうちに、韓国などが、ロシアの国債を売りにまわり、ロシアのルーブルが大変に下落し、ブラジルに飛び火し、それが、ノーベル経済学賞受賞者2名を有するアメリカのヘヅジファンドが実質倒産に及んで、はじめてアメリカが賛成に回りました。その間2年を過ぎており、日本もアメリカに協力した1995年の同じく金融収支が原因であるメキシコ危機の時の1ヶ月を経ないアメリカの対応と比べるとかなりタイムラグがありました。この例は、国際金融危機がグローバルに展開する見本のようなもので、私自身1998年6月に再び、イギリス政府のシンクタンクで、「世界経済のマネジメント、アジアとヨーロツパは何が出来るか?」という題で講演いたしましたので、よく覚えております。 この年は、日本でも、長期信用銀行が、1998年10月金融再生法に基づき特別公的管理され、一時国有化され、この間1兆8千億円の税金が投じられた後、2000年2月にアメリカのリツプルウヅト・ホールデイングスを中心とする投資組合New LTCBパートナーズに譲渡され、3月1日に新生銀行と言う名前で発足いたしました。この時の譲渡価格は、税金投入額の0.06%である10億円というもので、しかも瑕疵担保条項つきで、ある程度以下に、債権が劣化した時は、国がその債権をもとの債権額で買い取るというもので、私は、個人的には、大変問題を残した処理の仕方であると考えます。 ついで日本債権信用銀行も、今度は、国内のシンジケートに買い取られ青空銀行と言う名前で譲渡されました。 さて、私は、今イギリスの例、日本の例を通じて、世界経済の不安定要因をのべましたが、このことの意味するものは、一体何なのでしょうか? それだけではありませんが、世界経済の目標のひとつは、健全な、産業群の存在する競争的な経済ですが、現在の世界経済は、故スーザン・ストレンジ、ロンドン大学LSE(政治経済学院)教授が命名したように、「カジノ資本主義」とも、経済の金融化ともいわれる面でのボーダーレス経済が、各国の経済に良くも、悪しくも、大きく影響していることです。 実際,年間の世界貿易、言い換えれば実体経済の交流に必要なマネーは、7兆8千億ドルといわれていますが、世界を金融面で何らかの利益を求めて徘徊するマネーは、1日1兆ドルとも,1兆2千億ドルともいわれ、この4月18日に慶応義塾で講演した、世界的なグローバリゼーションの権威LSE学長、アンソニー・ギデンズによると、今では2兆ドルともいわれています。そうすると、年間、実体経済の50倍から100倍もの金が、世界を動き、各国にある時はFDI(直接の外国資本の投資)など、成長通貨を供給して発展に役立つたり、企業買収や転売などを促進し、ある時は逆にその国の資本勘定の大幅なマイナスを惹き起こし、通貨危機、為替危機、また逆に証券市場のブームも危機ももたらしているのです。 このような世界経済に、公平なリーダーシップを実現するにあたってサミットの果たす役割は、極めて大きいのです。 おてもとに配られた「グローバリゼーションとサミットの役割」という私が沖縄サミットの時に、書いた論文がありますが、これの英訳は、G8Research Group が発行する12冊目の本「World Governance」の中におさめられていますが、その9ページから、10ページ、また沖縄サミットの時の琉球新報の私へのインタビューの1枚物のコピーを後から御覧いただければ、有り難いのですが、ここで、主張した、私の、テロリズムを含む世界安全保障、IT革命、世界経済、への主張は、いまだもって変りません。 特に、世界GDPの67%を占めるG8の7カ国は(ロシアを加えた8ヶ国では70%)、国際機関が世界に対して取るべき、政策や、改革、その対応策、国際経済組織相互の協力について、指導的な立場を取ることが可能であり、特に国際機関相互の協力については、G8の中で、担当者会議を設けることが望ましいというのが、私の主張です。 2)つぎに、第二の世界経済の不安定要因は、南北問題です。 つい最近、私の長年の知己である,世界銀行のスターン副総裁が来日し、次のように講演いたしました。*1 途上国においても、過去40年間において、平均寿命は、40代半ばから、60代半ばまで、20年伸びました。また、過去30年間に、非識字率も50%から25%へと減少しました。1日1ドル以下で暮らす人も、14億人から12億人へ減少しましたが、なお、世界人口の半分が1日2ドル以下で暮らしています。今後世界人口は,25年から30年の間に、20億人増える予測ですが、その増える地域は、発展途上国です。 Prof. Sternは、開発の為の戦略と効果的な援助の重要性を強調していました。 私自身は次のように考えます。 過去20年間世界的な富は増大しましたが、先進国と発展途上国の格差は、拡大したといわれます。所謂グローバリゼーションの光と影といわれる問題です。先進国の中で所得における貧富の格差を示す経済学的な指数ジニ係数は、日本の所得分布が最も平均化していることを示しており、アメリカが最も格差が大きいのですが、先進国と開発途上国との割合ということになりますと、G8サミット諸国8カ国のGDP国内総生産は、全世界の70%に達しており、その他の約180か國が、30%ということになります。ある社会や、ある国の安定化のためには、その社会の欠点をどう補っていくかが、キーポイントであり世界的な総合社会でも例外ではありません。ヒューマニズムの立場からもベーシックヒューマンニーズを満たしていくことへ先進国は、協力していかなければなりません。 先ほどの世界銀行副総裁Professor Stern によると、開発途上国全体では,年間1.5兆ドルの資金需要があるが、そのうち9割が国内で調達され、1割の1500―1600億ドルが外国からの調達で,そのうちのまた1割150億---160億ドル、つまり全体の1%が世銀の融資であるとの事です。*2 1990年代に国連、経済協力開發機構(OECD),国際通貨基金(IMF)、 世界銀行(World Bank)によって国際開発目標(International Development Goals)が策定されましたが、沖縄サミットの年の2000年の国連総会でミレニアム開発目標(MDGs:Millennium Development Goals )として拡大されました。それによりますと、2015年までに1)1日1ドル未満で暮らす人口比率を半減する,飢餓に苦しむ人口比率を半減する。2)初等教育の完全普及3)ジェンダーの平等、4)5歳以下の子供の死亡率を3分の2に削減する。5)妊産婦の死亡率を4分の3削減する6)HIV/エイズ、マラリアなどの疾病の蔓延防止、7)持続可能な環境作り、8)グローバルな開発パートナーシップの模索、ODAの増額、市場へのアクセスの拡大を目標にしています。 これらの目標を含め、国連の開発援助に関する本年3月のメキシコ、Monterrey での国連開発資金会議、4月のワシントンでのDAC(開発委員会)の会議から、過去50年間の開発努力についての教訓が討議され、1)健全な政策と良質な制度・組織、*2 2)貿易と投資の流れから開発途上国が世界経済に統合されていく事*3 3)開発途上国の政策を支援する外部援助の3つの面で、先進国と開発途上国の間に(between developed and
developing countries)開発の為のパートナーシップが醸成されることが*4 、必要であることにコンセンサスが生まれました。 この点で参考になるのが、東アジア地域で、過去10年間に、貧困が殆ど半分になった世界で唯一の地域です。財務省の黒田財務官の最近の講演*1 によると、10年前には、この地域で、4億5千万の人々が極貧とされていましたが、今では、2億6千万に減少しました。東アジア地域での貿易と投資での関係強化は、1980年代を通じて,深まり、相互に恩恵的で地域の持続的成長に役立ちました。日本のこの地域からの輸入は2000年度で、1400億ドルで、地域内相互間の輸入の3分の1を占めます。日本はまた、地域の投資の主たる直接投資(Foreign Direct Investment)のプロバイダーであり、1990年代を通じて、800億ドルが日本から東アジア地域に投資されました。Monterrey の会議では、現在12億人である1日1ドル以下で生活している人々を2015年までに半分にする為に、毎年400億ドルから、500億ドルが追加的に援助されることつまり、毎年1000億ドルが必要であると討議されました。しかし,東アジア地域が受けたODAは、毎年平均80億ドルで、つまり世界の貧困の約3分の1が、この額の援助で半分に減ったことを考えますと、Monterreyの会議で議論されたような、量的拡大だけでなく、アジア地域でのように効率的,効果的に援助を行う必要があります。この地域では、ODAの半分を日本が提供し、実際に日本が積極的に支援している世銀、アジア開銀とともに重要な役割を果たしたといえます。 今度のカナダサミットが、取り残されているアフリカへの発展協力を中心議題におくことは、リオにつぐ10年ぶりのヨハネスブルグでの「環境と開発サミット」を目前にし、また日本が来年開くTICAD(アフリカ開発会議)を控え、時宜を得たものと言えますが、アジアの経験が生かされるべきと考えます。 また、6月7,8日カナダのハリファックスで行われたG’7財務相会議で合意された第二世銀の増資は、アフリカの最貧国に適用が期待されるように、長期数十年の無利子の貸し付けが可能になり、今回のカナダサミットの成果の一つとなるでしょう。
3)日本の国際社会への貢献。 このように、日本の国際社会への貢献、いわば、国際公共財の提供は、たとえば、ODAだけの数字でも、過去10年間昨年を除いて、世界一位でした。世銀などの国際機関が、教育、健康、所得格差の是正を通じての最貧困層の減少を目的として、国際公共財を提供してきたわけですが、日本は、これらの機関への協力によってその目的を達成するよう目指すとともに、自国のODAを通じて、被援助国の社会資本のインフラストラクチュアつまり、一般の産業基盤はもとより、道路、港湾、病院、学校、電力、放送を含む通信など市場経済の基盤となる公共財の整備に重点をおきました。(私自身も放送分野の開発協力にも長く携わりました。)そのことは、先に述べた東アジアやASEAN地域の發展の基礎の充実に役立ったと私は、考えます。 これからの開発途上国への資金の流れは、マーケットのルールと法の支配を前提として、量的な必要性からみるとFDIの拡大が、望ましいのですが、冒頭のべた、カジノ資本主義の弊害を制御することと、社会の底辺への協力は、公共的協力が望ましいのです。 では、どういういきさつで、日本は、国際協力を国の政策の大きな柱とするようになったのでしょうか。 1960年代に、日本は、外貨準備高が20億ドルから、40億ドルに達し、経済成長の足枷となる基礎的な国際収支の黒字が改善されるようになりました。1970年代はじめ、私は、同年代の銀行等のサラリーマン、学者、大蔵、外務、通産、運輸、農林等の官僚と共に、「プロジェクト80」を組織し、80年代に日本が何が問題であるかを議論し、ある官庁の援助も得、リポ−トも2年間提出しました。そこで問題になつたことの一つは、日本の国際収支の黒字の増大予想でした。以下、私が、日本ITU協会のために1986年11月に書いた長文の論文―後に小冊子となるー「放送分野における国際協力―ODAの問題点と改善の方向―」から引用します。論じている時期は1970年代はじめです。 ――――民間のエコノミストグループ(注:日本経済研究センターのこと)の中には、--------そのままでいけば、1975年には、日本の外貨保有高は、128億ドルにも達し、世界貿易に占める日本の割合は、10%を越えるという予測があった。------急速な日本の成長が貿易摩擦や通貨戦争を招くことが明らかになったので、70年代半ばまでに、 (一) 大幅な円の切り上げか (二) 貿易の完全な自由化か (三) 国際協力の飛躍的増大か、 の三つのうち二つ以上を実施しなければならないという議論があった。 ---------この中で外貨の保有高については、ニクソンが金とドルとのリンクを外した所謂ニクソンショックの1971年までには、日本の外貨は、160億ドルに達して70年代はじめに5年後に予想した事が、2年以内にそれ以上の保有高となってしまったのである。---------
以下略 日本人の哲学といいますか、根本的な考えのひとつは、「1は全に通じる」というものです。つまり、自らの幸福は、全体の中に存在するーつまり国家社会の中に存在するという考えです。その国家社会の幸福が、地球社会全体の中に存在するとすれば、ベーシックヒューマンニーズのための世界への貢献は、必要という考えは、日本人の大部分の潜在的な意識のなかにあると私は信じていますが、それがODAで世界一になっていたという事の背景は、60年代から90年までの急速な日本経済の成長があったのです。 4)日本の現状 日本の外貨保有高は、現在世界一の4560億ドルに達しています。日本は、世界一の海外資産を持っており、たとえば、アメリカの国債も3100億ドル持つています。日本人の金融資産は、1400兆に達しています。日本の中央政府と地方政府の借金は、693兆円に達してはいますが、この金融資産の半分です。借金のうち半分を占める国債は、日本のグローバリゼーシヨンへの戦略が達成されていけば、世界的に分散されて保有されるべきものですが、現在の日本の経済状況を考えると、幸いというべきか、ほとんど国内で安定的に消化されています。ムーデイズやS&Pの評価は、この辺の事情を掴みきれていないというか、日本の国内外から生じる悲観的、あるいは、ネガテイヴな金融情報に大きく影響されています。もともと日本人は、先憂後楽といって、あまりに先のことを深刻に考える傾向がありますので、ますます海外へ、悲観的な情報が行きやすいのです。我々は、海外商業評価機関の評価を謙虚に受け止め、経済の改革をさらに促進するテコにすべきと思いますが、ムーデイズやS&Pの評価は、商業的であって、先程来指摘した、「経済の金融化」にもとづくボーダーレスな國際的なインヴェスト面でのお金の動きに対して、現在ではなく、未来への予断にもとずいた評価を与えることによって、マネーの動きに影響を与えるものであり、そこには、現実にはそうならないとか、国際収支の内容からして安定度が高いとか、国内的な失業率がその国は何番目であるとか、国際的にその国がしている経済的な公共財供給への貢献が貴重なものであるとかいう要素は考慮されていないか、いびつにされており、また必ずしも、首尾一貫していません。1992年のイギリスの通貨危機のときもイギリスの格付けは下がっていませんし、80年代のアメリカの双子の赤字のときは、普通の国なら潰れるとも考えられるのに、アメリカは、格付けがさがっていません。勿論アメリカの政治力、軍事力をふくむ超大国としての地位、赤字がでても、国際基本通貨であるドルを印刷さえすればよいというアメリカだけの特殊事情はあります。最近のエンロン・ワ−ルドコム・タイムAOL、アンダーセンのように資本主義の根幹を揺るがす、監査上の欠陥や、透明性の欠如は、アメリカの格付けには影響しません。アメリカが世界各国の輸出のマーケットとして機能していることは、高く考慮されるべきですが、それが国債格付けに反映されるのであれば、日本がアメリカよりは、経済規模が小さいのにほとんどアメリカと並ぶ規模で国連をはじめとする国際公共機関の経費を分担していること、ODA額で日本が3位以下を大きく引き離してリーデイングな貢献をしていることも日本の国債評価に反映されるべきです。ムーデイズは、GDPの規模に対する政府の借入金の規模を今回の評価の理由としたとされていますが、各国の評価を中央政府のみの債務としているのか、地方の行政体全部を含むものに世界全体を分析したことに基くのかは、はっきりしません。日本の場合も中央政府だけでは、国債発行額は、未だにGDPに達してはいません。何よりもその国その国の実態に基づき、国際的な支払能力があるかが問われるべきです。もともと、一つの国に属する、商業的な格付け機関には、そういうことを期待するのは、無理であって、国際公共経済機関による格付け機関の創立が、このグローバリゼーションの時代には、必要なのです。 5)日本経済の再生 にもかわらず、日本経済には、無論足りないところは、たくさんあります。ドイツのある調査機関が、20世紀もつとも高い成長を示したのは、日本であるとして、1660%の経済成長をしたとし、2位の540%以下と比べています。 しかしこの10年間は、日本経済にとつては、大変困難な時期でした。一定の範囲内への不良債権処理を早期に実現し、財政健全化の目標、道程を定め、デフレからの脱却を目指し、構造改革・規制緩和を進め、1日も早くムーデイズのような格付け機関からも正当に評価され、国際的な協力を推進できるようにならなければなりせん。 この10年の日本の経済的困難の真の原因は、1980年代末に最大の同盟国米国からの400兆円をこえ、ほとんど日本のGDPに等しい内需拡大を要請されたことにあると認識しております。それ以降、バブルの発生・崩壊と「政府の失敗」と『市場の失敗』が重なったことが、「失われた10年の原因」ですが、日本は、この10年間の間に、紆余曲折はあっても、経済的な構造改革や規制緩和をはじめとし、社会全体のための変革に試行錯誤の議論と対策を繰り返しながら、いまようやく全体としての構造改革ができる土壌が、政界、経済界、また官界のなかに醸成され、国民も期待していると私は判断しています。 経済的には、不良債権解決の長期的な方向がつき、従来型の製造業のみならず、ナノテクノロジー、バイオ、環境,医療,情報などの新分野で技術革新が継続し、産業の競争力の強化が引き続き努力され、海外生産増大にともなう國内雇用の減少を充分カバーする、生活関連や医療、介護分野などを含むサービス業分野で, 雇用が拡大し、*7 景気が浮揚することが不可能でないことが、理解されれば、一挙に国民の意思が発展へ向けて結集される可能性があります。 また。日本の企業の透明性とか公開性、監査・についても他の先進諸国に比べて、そう劣っていないところまで進化してきています。 5)−2不良債権処理 いずれにしても、不良債権処理を進めて、銀行の収益構造を改革することが、日本経済再生のために必要ですが、これには、ふたつの方向があると考えます。 本年はじめ、竹中経済政策担当大臣が、日本経済の現状を説明するのに米英を訪問しましたが、その時の反応を、英国で人づてに聞いたところでは、米国は、不良債権の処理を迅速に進めるべきという意見が多かったのに対して、英国では、こういう時は、あせらず、ゆっくりと解決した方が良いとアドバイズした人が多かったそうです。 5)−2−1 時間をかける場合 後者の路線に沿えば、あくまでも、自主的な構造改革にまかせ、長い時間をかけて不良債権の処理を行うことです。例えば、次のような方向です。 日本経済新聞の5月24日に大手13行の2002年3月期の決算発表がでましたが、これをもとに,要約しますと、 @不良債権処理額 8兆円 A不良債権残高 27兆円 B業務純益 約4兆円 C与信費用比率 1−4%となつており、平均2%とすると,利鞘は、欧米主要行にくらべ、半分以下の水準です。約2%の利ざやが増加しますと8兆円以上の業務純益が確保され、不良債権は、景気の悪化がなければ、最短で2年半ぐらいで解消することになります。 これは、企業の自主努力のみで、不良債権を処理する場合です。 しかし、景気が浮揚することと、銀行の利ざやが上昇することが、条件ですから、この条件が達成されなければ、さらに不良債権処理は、延伸します。*8 私と同世代の、銀行実務の経験者によると、現在の日本で1%の利ざやを追加することは、大変に困難なことであるとしています。 また、名目成長率が実質成長率を適切に正の方向で、上回るなどの、マクロ経済的背景がなければ、デフレ的な状況では、不良債権解決は、中期的な目標としても、達成困難といえましょう。 もう一つ注意しなければならないのは、現在の日本では、アジアを中心とした後進諸国の輸出競争力の急成長による、国際的な、要素価格均等化圧力により、製品価格、賃金はもとより、土地でさえも、下降圧力が働いていることです。(最近の貿易理論やEUの域外後進諸国からの輸入を見てみても、こういう場合、その国が、要素価格の低い開発途上国からの輸入でマーケツトが必ずしも、全く席捲されてしまうということではないにしろ)これに打ち勝つような、産業競争力をつけねばならないのですが、状況としては、デフレ圧力が強いのです。デフレ圧力を撥ね退けて需給ギャップを埋めるためには、乗数効果の高いのは、建設面での公共投資ですが、2000年10月の小渕内閣の「新発展政策」まで136兆円を投じて、デフレから脱却出来ず、財政の悪化をまねいたのは、バブル崩壊・土地不動産価格の下落による不良債権の規模が巨大であり、処理を進める一方で、またデフレで新たに発生する為です。 90年代では、建設中心の公共投資が砂漠の砂に吸い込まれるかの如く消耗され、乗数効果が弱められ、今となっては、原資である国債発行のデメリットの方が拡大しています。 従って、日本としては、不良債権処理を進めると共に、構造改革と規制緩和をテコにして、創造力ある知的社会への変革を目指し、たえず、技術革新を行なう、競争力ある産業の高度化を実現することが日本再生の条件となっています。公共投資もその目的にそって重点が置かれることになります。 もつとも、日本は、比較劣位の産業を中心に、アジアの後進諸国に、かなり生産基地を移していますし、近い将来、主要800社ぐらいでは、30%ぐらいの生産が、海外でなされる見込みですし、電気産業に限ると40%台になると言われています。つまり、日本のデフレは、生産面での海外投資のチャンスです。 ただ、これらの国を生産基地とするだけでなく、これらの国の中での、マーケットの開拓についての努力、需要面で我国の投資企業がその国の発展段階とニーヅにあわせて製品をその国々で、販売していくマーケツト戦略が展開出来れば、日本のデフレは、我国の投資戦略の成功に結果的に導かれるでしょう。 また、長年の友人である田島アジア生産性機構事務総長が、よく指摘されている事として、最近の社会経済性本部での講演で触れているように、日本国内で比較劣位となった産業の生産基地を中国などに移転することは、一方で、日本国内の産業高度化を迫り、他方で輸入を通じて、アジア経済の成長を支えていくことになります。日本がアジアからの域内相互の輸入の3分の1を占めていることは、既に黒田財務官の講演の引用で触れました。 私の考えでは、このトレンドは、東アジアや東南アジアでの地域経済協定や、連合の設立・発展へ向けての地盤を強化するものです。時期ごとに、どこまでという、テクノロジートランスファーの戦略は、立てながらも、健全な産業育成型投資立国となるかどうかが、我国国内での新産業開拓と既存産業の競争力強化とならんで、我国の帰趨を決めていきます。これに関連し、2002年3月期で国内・海外別の営業収益を出している上場企業498社では、企業収益の海外依存度は、27%になっていると日本経済新聞社が集計をだしています。既に、国際収支面では、黒字の半分が、貿易収支でなく、資本収支で稼がれており、ロストフのいう成熟せる国際収支国へ移行中です。 従って、民間で不良債権を解決する場合には、これらのグローバルな環境変化に耐えながらも、構造改革にたえて、前向きな経営改革をなしとげられるかどうかが、キーポイントとなりましょう。 一方、アジア危機の時に、我国の韓国、中国等に対する金融投資は欧米に大きく遅れをとりましたが、我国のこの10年間の金融システムの弱体化がその原因です。不良債権処理と一刻も早いシステム健全化がこの点からも望まれます。 5)2−2 直ちに処理する場合 前者の一挙な不良債権処理方式を、取る場合、あくまでも日本のやり方で、諸外国の干渉がなくその方式に、外国も同意することが必要です。結論からいうと、政府・日銀が、一時肩代りをするしかありません。その肩代わりの方法は、時価でなく、根雪の部分の簿価によるものでなければ、なりません。*6 この点について、日本の中にコンセンサスが出来、少なくとも、政府が指導性を発揮でき、海外諸国も容認するときは、この方法をとる冒険をするべきと考えますが、そうでなければ、上記にのべたゆっくりしたしかし厳しい環境にたえながらの処理によらざるを得ないと考えます。 前に述べたように、この10年の日本の経済的困難の真の原因は、1980年代末に最大の同盟国米国からの400兆円をこえ、ほとんど日本のGDPに等しい内需拡大を要請されたことにあると認識しております。それ以降、「政府の失敗」と『市場の失敗』が重なったことが、「失われた10年の原因」ですから、不良債権の根雪の部分は、簿価で、除去するのが理想です。その手段として、これ以上の国債の大幅増発は、日本売りの対象になる可能性があるので、除去の原資は、日銀の増刷する紙幣であるのが、最もコストが、安く、最終的な国民の負担が少なくなると考えます。 従って,一挙に解決する場合は、日銀引受で、不良債権を処理して銀行・生保のシステム回復と内外競争力を強化するとともに各産業の再生と利潤率の上昇に役立て、株価水準が高められ、円高・円安を適切な時に適切なレベルへ誘導してデフレ経済からの脱却を早期に実現し、雇用面でセーフテイネットワークを用意しながら、技術革新と成長産業への構造改革を進め、福祉高齢化産業など新分野の産業を開拓し、需要拡大の財政出動は、長期的、中期的、短期的財政改革展望の許す範囲内で可能な限り行うが、新規国債増発は、極力抑えるということになります。 5)−2−3 経済活性化政策関連 また。いずれの方法でも,必要なのは、産業競争力の強化ですが、*7, 一方で租税制度、医療改革を含む社会保障制度の改革も並行して行なわれることは、論を待ちません。現在の日本の医療・年金を柱とする福祉水準と失業時のソーシアルセイフネットワークは、世界的に見て、一級の水準にはあると、思いますが、問題は、国民の少子化、高齢化の進む中で、しかも産業の構造改革を進めなければ、グローバル化に対処できない状況にあって、一定の福祉が確保されるのか、雇用面をふくむ最低限のセ−フテイネッワークが提供されるのかについて不安を抱く国民の心理状態が、いかに前向きに転換されるかであります。福祉国家の道筋が、グローバル社会の進捗する中でも、一定の限度で確保されることが明らかになることで、国民の心理は、反転すると私は、思います。 昨年から本年はじめにかけて、国際金融市場で日本売りの動きの兆しがあつた時に、経済・財政政策と金融政策の連携のあり方からして、日本の取るべき政策はこうあるべきという提案を、財務相に送りご返事も頂き、官邸にもコピーをお渡ししましたが、その際の議論では、税制度と、社会保障政策については、除いて提言をいたしました。勿論産業競争力を強化し、一般国民も貯蓄マインドから投資マインドへと適度の割合で,配分を進めるためには、これらの制度の改革も必要です。 6月22日、G8サミットの直前、G8 Research Groupは、カナダのカルガリー大学と共同で、加、英、米、伊の学者、ジャーナリスト、政府関係者が参加して、1日のフォーラムを開催したのですが、私は、この原稿を基に講演することになったので、カナダへ行く前々日に総理官邸も訪れました。官邸筋は、サッチャー、レーガンの税制改革を参考にして、産業競争力強化や、研究開発、投資促進に役立つ税制を目指したいとのことでした。*9 私見を述べれば、消費減税、所得減税は、ターゲットを低所得者層に恩恵が及ぶように絞るにせよ、景気を浮揚させるに足るほどの規模で行なうには、国家財政が悪すぎます。時間はかかるにしても、むしろ一方で、国際競争力、産業競争力強化に徹する、攻めの経済を目指し、他方で、空洞化のデメリット面を少しでも避ける為にも、先進国の水準に達するよう法人税率を下げるかとか、高度な設備投資の推進、革新に資する投資・研究開発減税とか(たとえば、ナノテクノロジー・バイオテクノロジーの発展や、高度情報通信社会実現へむけての基幹的インフラ整備とか)、日本の目指す重要プロジェクトへの特別減税とか(たとえば特区プロジェクト、航空・宇宙産業育成、とか)等が、推進されるべきと考えます。 又、私は、嘗て沖縄復帰以前に、「日本開発のための多中心社会の構想―プロジェクトとしての沖縄復帰―」と題して、自由都市、保税地域を含めて、今でいう特区構想の必要性にも触れた論文を顕したことがあります。それ以前からも、通産省の新産業都市構想がありました。国際的な学界の70年代の開発理論からも、Growth Pole Poicy(成長拠点政策)としてそれぞれ、特色ある構想のもとに、地域を全体の発展のためのテコとしても役立てるという考えがあり、中国の「深せん」など13の地域を拠点とした中国全体の為の浮揚政策もひとつの成功例であると考えます。 また英国の地域開発誘致政策などももうひとつの例です。今回経済活性化のひとつの方策として、様々な特色を持つ特区構想が、都市の再生とならんで、浮上していますが、この構想は、「地方に出来ることは地方に任せる事」、地方分権の確立、特色をもった地方の独立度の向上、それに適した税制、補助金財政から、自主財源への移行と矛盾しない方法で、実現されるべきです。政府は、総理を本部長とする特区推進本部を内閣官房にもうけ省庁をこえて推進するようなので期待したいと思います。またE-Japanと電子政府の構想を進めることも、グローバルな日本の戦略の実現の為に、底辺となりますが、国民の人権を確保することと、国民に対する政府政策の情報提供の透明性を確保することは、その前提であるべきです。 リスクは、考慮にいれながらも、企業の前向きな海外投資が、実施され、政府にあっても、国際的地域経済協定の各段階を見通した、政策立案がなされる事や、国際通貨危機やボーダーレス経済の進展に対する対策も含む、我国の「グローバリゼーションに対する戦略」が、普段に検討・実施されることと、国内的には、技術革新にともなう、新産業の推進、産業競争力強化のための、プロジェクトや、都市再生・特区構想、などの政策実施、情報革命を国家や企業の戦略に生かす形で、E-Japanが実施されていくこと、以上に相応しい、税制改革、新しい福祉国家構想、これらの政策を総動員し、デフレからの反転がを見通すことが出来、不良債権の処理の方向が*5、はっきりし、構造改革が進められていけば、日本は、国際社会に経済的にも更に貢献しうる国になると信じます。 私は、1997年11月18日のイギリス政府のシンクタンクでの「日本経済はどこへ行くのか」というテーマでの講演で、日本は、民主主義平和国家であることは、前提として、「知的創造力があり、技術革新的(又は、生産システムインノベーテイブ)で、地球環境共存社会と呼ばれる国家を目指すべき」と考えるとのべました。しかしそれをグローバリゼーションが進む中で、どうい戦略で実現するかが問題です。 また、本年1月17日に行なった、「変革期の社会と国家」―グロ−バリゼションの光と影―日本の進路を探るーというプレスセンターでの講演では、日本のグローバリゼーションに対する戦略の欠如についてのべましたが、今後この問題について、私の出来る方法で取り組みたいと思っています。 国民と官僚との適切な関係 もうひとつ、国民と官僚の関係も日本の再生を進める場合に、改革しなければなりません。 明治以来、我国がアジアの中で独立を保持しえたのは、「富国強兵」と「官僚制」が大きく、作用したことは確かです。その弊害は、敗戦とともに防衛制度の変換をもたらしましたが、明治以来3度目といわれる社会の転換期を迎えて、官僚制度が真に国民を主人公とするものに、進化するかどうかのチャレンジを提供しています。 ひとつだけ、その処遇にふれることに触れますと、一方で、官僚の定年の延長は、導入されるべきと考えますが、「民間に出来ることは、民間にまかせる政府実現」を目的として、国民のためのパブリック・サーヴァントに相応しい人事、給与、定年、定年後の、補助金つまり国民の負担する税金を伴う特定法人、公益法人に転入した場合の給与、退職金をふくめた官僚機構の改革などが進められなければなりません。これだけの不況が長引き、倒産が、増え、失業者や、自殺者も増える社会環境のなかで、ことに、3兆円づつ改善していくと、100年以上も解消にかかる財政の赤字がある状況の下で、上記の問題について、また公的セクターにおけるワークシェアリングによって失業者に雇用面でのセーフテイネットワークを提供する事なども含めて、官僚側から、提案が出てくることが必要です。*10 6)最後に 私は、イギリスの王立国際問題研究所の会員ですが、私がなぜ会員になりたかったかというと、1958年に卒業した大学生の頃、長らくこの王立国際問題研究所の所長をしたアーノルド・トインビーの考えに惹かれたからです。私は、トインビーの歴史哲学の根底のひとつには、次のような考えがあると思います。つまり、ひとつの文明を担っている民族の栄枯盛衰の運命というものは、丁度その民族全体が高い、山に山登りをしているようなもので、登山の途中には、雨も有り、嵐もあり、雪も有り、持っている食料にも限度がある。あるときは崖の内側の洞穴にこもって風雪を避けなければいけないこともある。凍死することも、山を滑り落ちることもあり、病人や怪我人もでるかもしれない。引き返すことも出来るし、下山することも出来る。しかし、苦労して山を登っていけば、その向こうには、新しい天地が開けているかもしれない。そこで、リーダーの判断によっては、悪条件の中で強行することもあり、逆にもっとも効率的でエネルギー消費を少なくして、登って行ったり、安全なルートを探していったり、いろいろな対応の差がでてきて、結局その文明を担っている民族の運命がきまるし、文明の栄枯盛衰も決まってくるという考えです。この場合にリーダー達の資質とか、指導力、は決定的な役割を果たしたといえるでしょう。 しかし、現在では、一つの民族ということでなく、人類全体が、一緒になって山登りをしているようなものです。つまり、すべての民族や国家の運命が相互に関連しあっている。単一の民族や国家からすると、ある国の発展とか、近代化というものは、その民族や、国家特有の、歴史的、社会的、文化的、政治的、経済的条件に左右されるが、なお、世界的な総合社会の形成の過程にあるというわけです。つまり、現代の言葉でいえば、グローバリゼーションの過程にあるというわけです。 では、経済的なグローバリゼーションの山登りでは、何が、特徴であり、なにが求められ、何が改善されるべきなのでしょうか? すでに私が、冒頭から説明しているように、実体経済と、マネー経済の差の拡大による弊害、またカジノ資本主義による弊害は、除去していかなければ、なりません。もうひとつは、私的セクターと公的セクターのバランスであると思われます。つまり、競争は、競争で進め、福祉と貧困からの離脱、ワークシェアリングについては、公的セクターを中心とし、グローバルなリスクに対しては、国内的にも国際的にも協力していく事です。 そして地球環境に配慮しながら、経済の発展を先進国と発展途上国がバランスを取りながら、地球運命共同体として実現していくことが求められます。 これらの目的にたいして、G8リーダーの示す指導性は、大きな役割を果たしますし、それが現時点における地球と世界のガバナンスに影響力のある最も効果的なリーダーシップであると考えます。日本としては、独立は堅持しつつ *11、グローバリゼーションのプロセスで自国の生存条件と地球社会への貢献とを調和をとりながら、実現していく努力が必要であるといわねばならなりません。 註 *1 World Bank Public Seminar Strategies for
Development and Aid Effectiveness” at UN University, Tokyo June 4,
2002 * 2ザイールのように過去40年間100億ドルの資金が流入し、しかも個人 国民所得平均が400ドルから、100ドルに減少した国もあり、援助を受け入れる国の統治機構をはじめとした、組織・制度の充実が不可欠である。 * 3最近では、公的な資金援助よりも、パウエル米国務長官の本年夏のアフリカへの援助についての國内演説のように(2002年8月)、民間の資金のマーケットを通じての量的拡大を重視する考えが、国際会議でも強調される向きもあるが、FDI(Foreign Direct Investment―外国直接投資)にともなう、いびつな、資金の流れは、資金を受け入れる国々に格差を拡大する点を是正することも、ワールド・ガヴァナンスにとって重要である。 例えば、2000年のアフリカ全体への FDIは、8割が、2カ国に集中した。また、アジアでは、中国への投資は、インドへの投資(今後IT中心に増加が予測されるが)の20倍といわれる。更に先進国の危機のところで解剖したようにようなカジノ資本主義的な資金の流れについての欠点への克服策が、G8サミツトの指導力を背景に進められていく必要がある。 * 4 たとえば、地球環境面の改善という点からすると、京都メカニズム(国 際的に協調して、目標を達する為の仕組み)の発展したものとしてのCDM(クリーン開発メカニズム)(例―日本と開発途上国が協力して荒廃地に植林を行う事業)などは、政府開発援助でも実施されるようになれば、先進国・開発途上国双方の利益が達成されよう * 5 今日本では、デフレ脱却優先にコンセンサスが、醸成されつつあり、私 も、同意するが、そのために不良債権をある一定規模に押さえなければ、ならないという点は,看過すべきではない。つまりそれが、この10年の日本の停滞をもたらしたものであり、デフレにいたった最大原因だからである。 * 6 何故,時価でなく簿価でなければならないかというと、10年来の日本の経済状況を考慮すると、(1)時価であるとデフレが深まり、簿価であると脱却要因となる。(2)また、先に新生銀行について述べたように,1兆8千億円の税金を注ぎ込んだものを,0.06%で譲渡したが、この他に瑕疵担保条項によって7000億円が既に、引き受け先に支払われ、潜在的には、いまだに数兆円がこの条項が適用されると、支払われる可能性がある。 ひとつの企業だけで、数兆円が,国民の負担する税金からということになると、年間の税収を50兆円としても、かなりの部分が一挙に不良債権を処理するために使われなければならなる。結果的には、国民の負担するコストとしては、簿価で処理したものと、ほとんど変らぬことになる可能性がある。とすれば、不良債権の根雪部分だけ解決すれば,産業再生・技術革新につながるものに対しては,時価でなく簿価で一時的にもせよ、不良債権をプールしておく方が国民経済全体としては、コストが安くなると考える。もうひとつの方法は嘗てのアメリカのように政府紙幣の発行による処理も考えられるが、いずれの方法によっても簿価処理については、所謂良識派をはじめとして反対が予想され、実際の実現は、どの程度日本が危機に瀕するかによると考える。 * 7構造改革・規制緩和を進めながら,我国の産業競争力強化をしていく場合の具体的な未来像の検討については、経済産業省の戦略会議が5月に中間報告をだしており、雇用面では、サービス業の拡大により、グローバル企業の出現や、海外生産増大に伴う,雇用の減少を充分補い,産業競争力強化が、なされていけば、むしろ雇用増大も達成される可能性があると考えられている。 又、政府の経済財政諮問会議の一連の「骨太の方針」をもとにする考え方では、10年ぐらいをかけて、2%といわれる日本経済の潜在成長力を反映した成長軌道を回復し、2010年代初頭に、財政のプライマリーバランスを均衡させたいとしている。 8月30日にプレスセンターで講演した竹中経済政策相によると、この2年は、不良債権処理に集中し、GDP比4.3%というプライマリーバランスのマイナスについては、年平均0.4%づつを目安として財政健全化を進めるが、減税が先行しても、多年度中立をキープすればよいとしている。また同相によると6月に閣議決定された経済活性化の中心は、30のアクションプランの中で、特区構想と税制改革(2006年度完了)とであると強調している。 * 8 その後、金融庁の8月発表では、3月時点で、全国の地銀を含めての不良債権が43兆円であるとされている(信金・信組を含めて53兆円)。新聞社の調査などでも、地銀をはじめとして、日本全体としては、数年内に、不良債権を与信の4%程度にするのは、困難と考えている経営者が多いことが示されている。現状の日本では、貸し出しの19%をしめる公的金融機関と民間金融機関の関係についてマーケットを活性化する観点からの整理がなく、また地銀以下の統合/合併を含めて、一段の構造改革がなければ、都市銀行の利ざやの上昇は、困難との指摘をする人も多い。場合によっては、次の10年も失われた10年といわれる危険性がある。日本の銀行は、この10年既に90兆円に及ぶ、不良債権処理を行い、自己資本まで削りはじめており、 いたずらに、銀行を責めるだけでなく、グローバルな日本の経済社会の移行課程の戦略として、どのような金融システムが望ましいかを描くのは、銀行界のみならず、政府の責任でもある。その場合、たとえば、政策金融の対GDP比率が他の先進国と比べて3―4倍であり、類似の傾向のあるドイツとくらべても直接貸し出しの比率が大きく、公益性と金融リスクの観点から政策金融を絞り込み民間で出来る金融は、金融システム健全化の過度期は考慮するにせよ、民間にまかせていく必要性が指摘されている。 然し、ボーダーレスエコノミーとグローバリゼーションの深化にともない、国際金融危機が発生した時、たとえば1998年香港への為替、株式市場へのアタックの時、政府が買い支えて、危機を未然に防ぎ、中国本土を含めて、タイや韓国のような経済混乱を避けた。もし我国にこのような事態が到来した時にどうやって資金を用意するのか、つまりグローバリゼーションの経済リスクへの対処方針は、政府側できちんと準備されていなければならない。 グローバリゼーション過程のリスクマネジメントは、核の脅威、安全保障、テロリズム、天災から、国際金融経済危機、経済構造の変化に対処して国内でとられるべきソーシアルセフテイネットワークなど多岐にわたり、我国のとるべきグローバリゼーションに対する戦略のありかたに密接に関係する。 政策金融と関連して、たとえば、郵便貯金、簡易保険などが公社化され、さらには民営化されるかどうか議論を進めるときも、少なくともグローバリゼーションに対する戦略の見地からも、その利害得失を審議すべきである。 * 9 レーガンの時代は、双子の赤字であったにもかかわらず、法人税を引きさげて、企業の革新への道筋をつけた。サッチャーは、1度税で成功し、2度目は、失敗したといわれる。1度目は、レーガンと同じく、法人税をシンプルなものにし、かつ引き下げた。2度目は、人頭税を導入しようとして失敗した。法人税を引き下げて、技術革新のタイミングがマッチすると、ある程度の時間をおいて、景気高揚に導くが、財政収支の改善までには、かなりの時間が、必要になることは注目しておかねばならない。この点を考慮すると、投資減税をも含めて、経済の活性化をどうはかるかが論点となる。 * 10 関連して、政・財・官の関係についていえば、その協力関係は、国や、社会の勃興期には、メリットの面が相対的に評価されるが、経済の下降局面や、国の衰退期になると、癒着としてのデメリツト面が拡大される。明治の日本では、「富国強兵」と「官僚制度」が国の独立を護ったが、その後のファシズムの台頭が、国を滅ぼした。敗戦の後に官僚制度は残ったが、国民を主人公とした社会システムへの転換は、政治システム・選挙制度とともに試行錯誤である。封建社会や、絶対主義国家から民主主義革命が成立する過程では、「権力からの自由」「権力への自由」が、国民と国家の関係で重要となったが、理念的に行き着くところは、リンカーンのゲテイスバーグアドレスに示された「国民の、国民による、国民のための政府」である。この理念の帰結として、成熟した民主主義社会にあっては、官僚は、パブリックサーバントに徹するべきであるが、日本においては、第一に経済における「パブリックセクター」と「マーケットセクター」の関係、第二に予算配分や執行、法律制定、行政指導における官僚の関与が大きいため、現実問題として、天下りや、補助金を得る団体への定年後の再就職をはじめとして強大な権力を発揮することになる。権力の生成過程である政治家の選出においても成熟せる民主主義国とくらべると、日本における官僚出身者は、大きなウエイトを占めている。米国は、スポイルド・システム(猟官制度)として、高級官僚は、政権交代と共に交代するので、別に論じても、英国においては、下院では、600人以上の定員のところで、二桁に遠く及ばない数字が、官僚出身の政治家であり、日本とは対照的である。官僚制度の欠陥を改善する面で日本での改革がなされ、デモクラシーに相応しい社会に向かっていくのが望ましい。 一方で、建設的な政・財・官・の情報交換をはじめとする交流は、食事を含めて、角を矯めて牛を殺すようなことの無いようにした方がよいと考える。 * 11 日本は民主主義平和国家として国内外で「心情倫理」に、訴えているだけでは、「平和の現実的基礎」と独立を達成したことにはならない。たとえば、核時代の平和は、バランス・オブ・テラーとして成立している。つまり米国の核の傘に在ることが、現実の核時代の日本の平和を維持している源である。原子炉という核の平和利用も、核の拡散、武器としての核利用と紙一重である。米国は、日本が核燃料を武器に転用しょうとする時は、燃料を日本から撤収する旨を契約にしるしている。同様の規定は、米国、カナダとインド、パキスタンにもあったが、両国は核武装に走った。このことは、北朝鮮の平和的原子利用にも必然的にともなう危険性である。周辺国が核武装した時に、若しくは、その危険性があるときに、核を持たない国、もしくは、その意思を放棄している国は、第三国の核の傘に入らざるを得ない。日本は、核について「三ない原則」を基本としているが、米国の核の傘の下に防衛されているのも現実である。この場合、実際に核が日本にあるかないかを問わない。また、近時日本では、集団的自衛権についての論争が盛んであるが、複数であるか、二国間の差は、あつても、既に日本は、国際協力で、日本の平和を維持しているのである。つまり、日本は戦後、米国と安全保障関係を築いたことが、日本の平和を維持した「平和の現実的基礎」なのである。同盟による平和の維持は、安易なものではない。相手の犠牲にたいして、自らも犠牲を払う覚悟は必要である一方、防衛面での恩恵にあづかるが故に、他の面たとえば、GDPと等しい内需を拡大せよというような経済面での無理難題を聞くべきでなく、あくまでも経済的には、世界共通の公平なルールを形成しながら、協力すべきものは、協力することが、属国にならないのなら、とるべき態度である。つまり同盟関係も独立心を持って必死に維持すべきものである。同盟の堅守は前提としつつも、安全保障分野でも、対話と提言と説得をともなう関係構築のために普段の努力が必要である。 私の亡父は、新政研究会代表として、1953年に、虎の門の共済会館で、以前から接触していた金光康夫、岸 信介、三木武吉、重光 葵、金森徳次郎、小泉純也、堤 康次郎、大麻唯男、緒方竹虎、山崎 猛、三木武夫、内田信也、前田米蔵、黒川 清氏ら50名余の人々と連絡をとって、日本の復興、発展のためには、戦前戦後にわたり分裂していた保守が、団結しなければならないという立場で、保守合同の先駆的運動を開始した。その後、鳩山一郎氏も合流した。1960年の安保条約改正の時は、議員として、岸 総理の補佐役であつたが、選挙戦の時、安保改正は、日本がより対等な立場で米国との条約を結ぶのであり、「日本は、生きるがために、食わんがために、米国と安保条約を結ぶのであって、決して、属国になるのではない」と強調していた。 日本人が、「一身独立せざれば、一国独立せず」と指摘した明治の先達のような、独立の気概をもちながら、なお米国と同盟関係を続けることが、日本の今後の政治経済の帰趨に大きく影響するのみならず、グローバリゼーションの進展の中で、日本の運命を決めていこう。この独立心は、日本の創造的技術の開発、創造的教育、知的社会の建設、経済成長のパターンにも大きな影響を及ぼす。 独立心を持った外交を志す上で、重要な、安全保障理事国の常任理事国になることが、容易でない以上、日本にとって、G8サミットのメンバーであることは、もつと重要視されねばならない。差し障りもあるので、はっきり記さないが、近年サミットが開催されたある国の日本大使館で、サミットの文書などは、終わってしまえば、あまり省内でかえりみられることはないという発言があった。勿論省内にも気骨のある人も多々いるが、その發言を聞いて、少々がつかりしたことを覚えている。今度のカナナスカスサミットで、ロシアから日本への北方領土返還に関連し、90(経済宣言・議長声明)、91、92年と努力がされ決議されてきたことが、日本側から他のメンバーに留意されなかったことは、残念である。いかにドイツのシュレーダーが首脳会談の席上急に言い出したこととはいえ、ロシアのG8サミット正式メンバーを認める際に、また、ロシアに対して核兵器削減のための費用として、200億ドルを他のG8サミットメンバーが援助することをブッシュ米大統領が音頭を取った際に、予め予測し、ロシアに対して、過去のサミットで取られた決議が、考慮されるよう日本側から他のメンバーに動きがなされなかったのは、日本の中で国策として、グローバリゼーションのいろいろな段階でとられるべき戦略が、真剣に議論されていない顕われともいえる。 私がメンバーであり、東京のリエイゾンフイスの代表をしている、世界唯一の常設的サミット研究機関であるG8サミツトリーサーチグループの代表カナダ・トロント大学のカートン教授(カナダ政府のサミット政策に深く関与している)などは、サミット開催中我々が詰めていたカルガリーのメデイアセンターで、心配して、ロシアの正式メンバー承認について、日本が反対ということではなくて、承認するにせよ、この機会に他のメンバーに留意させなくてよいのかと私に尋ねたぐらいである。日本のメデイアの中でも、このことに気づいた人はいなかつたが、私は外務省のカルガリープレスセンターでの説明者に、1対1でブリーフィングを受けた時にこの問題についての日本側のとるべき態度を糺したが、「それがこれから努力するべきところです」という返答であった。来年が「ロシアにおける日本年」として決定され総理訪ソとなったことは、一定の前進とも思えるが、その後ロシアのイワノフ外相は、ロシアの国会で「日ソ間に領土問題はない」と発言している。ただ本日(8月30日)この註を補充している時、小泉首相の北朝鮮訪問が発表されたが、イワノフ外相は、最近の訪朝の際、日朝首脳の会談開催について助言したと伝えられており、私が沖縄サミットの時書いた「グローバリゼーションとG8の役割」の中で、ロシアのG8サミット加入により、「世界の不安定要素の安定化に対して8カ国が協力出来るようになることで、サミットに新しい要素が加わる」と述べた方向に向かっていると考える。 Copyright(C) 1993-2004 Uda Shinichiro. 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