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1997年11月17日

日本経済はどこへ行くのか


イギリス南部ウイルトンパークにて
                             
 今日日本が直面している、重要かつ非常に困難な問題の一つについての私の考えを皆様の前で発表する機会をいただきましたことを、大変光栄に思っております。私はプロフェッショナルなエコノミストではありませんが, 経済を含めて「日本はどのような社会へと発展していくべきか」という問題は、私のいままでの人生のなかでの最大の関心事でした。ですから、私は、私の人生における体験を基にして、このテーマについて触れ、分析していきたいと考えております。

 1961年から1963年まで、私はイギリスのBBC海外放送で、日本向けのラジオ放送の仕事に携わっておりました。その間ロンドン大学政治・経済学院(LSE)の授業にも出席していました。6年前、私の父の葬儀委員長をつとめていただいた故福田赳夫元首相から、元首相も1930年代にLSEで学んでいたと伺いました。

 帰国後、私はNHKで約30年間働きました。1969年にインド洋衛星が打ち上げられ、全世界ネットワークが完成した時、ブリティッシュ・テレコムとNTTが、衛星回線を無料で提供し、BBCとNHKが衛星中継で同時に番組を交換しました。そして私はその折り、日本側の実質的責任者をつとめたこともあります。

 1992年にNHKを退職した後、私はLSE(ロンドン大学政治・経済学院)の学長から日本においてLSE国際社会経済フォーラムを運営するよう頼まれました。そして、過去5年間、私は18回フォーラムを開催してきております。

 このような経緯から、私はイギリスと日本が交流を発展させ、両国に共通の問題を話し合い、グローバルな国際問題について世界に向けてさらなる建設的な提案をおこなっていくことは私の願いでもあります。


1.1960年代
 それではまず、過去の日本の状況がどのようなものであったのかを見ていきたいと思います。1961年にイギリスに来た時、私は岸前首相と藤山前外相から日本大使に宛てた紹介状を持っていました。その1年前、日本では、日米安全保障条約の改定をめぐって、あるいは日本は西側陣営につくべきか、東側陣営につくべきかに関して、国論を二分した闘争と騒乱が起こっていました。

 私の父は、1953年に派閥を超えて124人の署名を集め、1955年の保守合同を実現させるために奔走しましたが(1953年当時私は高校生で、虎ノ門の国家共済会館で行われた会合に出席した)、日米安保改定当時、岸首相の総裁補佐役をつとめていました。反安保派の動きが最高潮に達し、デモ隊が国会議事堂を囲んだとき、私の父は首相執務室で岸首相と共に一夜を明かした7人の議員の一人でした。

 この混乱を目の当たりにして、日本はどのような社会へ発展していくべきなのか、また目指していくべきなのか、その方法を探るため私はイギリスにやってきました。ところで、当時の為替レートは、1ポンド1008円であり、私の日本での給料は、イギリスのバス車掌の約4分の1に過ぎませんでした。

 1960年の日米安保条約改定は日本の戦後史における画期的な出来事の一つでありました。その後、日本は世界の二極体制政治において、西側陣営の完全なメンバーとなったのです。これとほぼ同時に、日本の経済は大きく発展しはじめ、1980年までの20年間に、経済規模は1960年のGNPの20倍にまで達していたのです。

2.1970年代
 1970年に、私は1980年代に日本が直面するであろう状況や問題を予見しそれらに備えるために、若い研究者、ビジネスマン、官僚たちから成る「Project80」という研究グループを組織しました。このグループのメンバーの中には、のちに事務次官や大使、日本の代表的な銀行のリーダーになった人たちもいます。

 そこで取り上げた問題の一つは、国際収支に関することでした。1960年代以前には、日本の外貨保有高はおよそ20億ドルにすぎませんでした。日本が経済発展に突き進もうとするたびに、国際収支はその足かせになっていました。しかし、1960年代の終わりまでに、外貨保有高はとうとう40億ドルを超えることになり、日本は今や国際収支の上で経常的黒字国となったと言われました。

 ところが、別の問題が生じてきました。日本経済研究センターは、おそらく1975年までに日本の外貨保有高は128億ドルに達し、輸出量は急速に膨らむ、その結果、海外諸国との貿易摩擦が生まれるだろうとの調査結果を発表し、そのため、(1)貿易の完全自由化、(2)内容を伴った国際協力の推進、(3)円の切り上げ、が近い将来、必要になると予測されました。

 皮肉なことに、1971年にいわゆるニクソンショックが起こった時、日本の外貨保有高は4年後に到達すると思われていたレベルを越え、168億ドルに達し、日本の経済成長のスピードの速さを示していました。そして、後の繊維、鉄鋼、自動車の分野における摩擦を暗示していたのです。

 その後、日本のODAは世界でもトップクラスになりました。実のところ、私はNHKにおいてアジア、アフリカ、ラテンアメリカに拡がる放送分野での国際協力の責任者の一人でありました。安部外相の時に「TIDE」(テレコミュニケーション、情報、開発と経済)に関する世界的な会議が日本の外務省で開かれましたが、その際、私は2人のゲストスピーカーの1人をつとめました。

 貿易の自由化に関しては、日本は今や最先進の段階に達したグループにいるといえます。通貨切り上げについては、円は1995年には1960年時に比べるとドルに対して4倍、ポンドに対しては7倍も価値が高まりました。

3.1980年代
 1986年に私は「日本経済の峠の時代」というエッセイを書きました。その中で、19世紀後半のパックスブリタニカの時代、イギリスは世界最大の債権国であり1871年には経常黒字はGNPの5.7%に達したこと、世界の工場として、イギリスは国際投資のおよそ70%を投資していた事を述べました。今世紀初めと1960年代、アメリカはGNP比4%台を記録し、その国際投資は世界の60%に達しました。1986年までに、日本の経済規模は1960年時の50倍にまでなり、経常黒字はGNPの4.7%を記録しました。日本の海外純資産は1300億ドルに達しました。

 このようにある国家が上記のような国際収支の状態に象徴されるようなレベルにまで達したときには、技術革新や抜本的な社会システムの変化がないかぎり、多くの場合その国はピークに近づきつつあるのです。

 しかし、1980年代のアメリカの場合、情報技術とコンピューターのソフトウェアの利用にとくに重点をおいた情報社会を建設することで技術革新を実現しました。ですから、アメリカは世界のなかでも特に抜きんでた政治的・軍事的権力をもっている上に、その経済力は1970年代、1980年代に比べて強まっているとさえ言えるのです。

 このエッセイの中で私が伝えたかったことの一つは、これほどまでに大規模な経済と、GNPの点では経常黒字を実現した国民国家は、国家利益を追求するだけでなく、世界的な総合社会を形成する過程において世界的な繁栄を達成するために役割を担っていくという意味で、その形を変えていくべきであるということであります。今後も世界の単位は当分の間、国民国家でありつづけるにしても、世界の資源、環境、発展に注意を払って、自国と世界の発展の調和をはかる必要があります。

 しかしながら、1986年からの約10年間に日本はバブル経済を経験し、財政赤字が限度を超えて増加していきました。そしてそれと同時に、出生率は落ち込み、高齢化社会に向かってスピードを加速しています。このような現状が続いていくならば、長期的には、日本は世界に貢献していくだけの十分な力は持ち得ないと考えられます。最近にいたるまで、日本社会の袋小路は、短期的・中期的・長期的な課題に対して、解決策が樹立されないことでした。短期的課題とはバブル経済崩壊からの経済回復であります。中期的課題は、財政赤字の矯正を含む財政システムの再建です。そして長期的課題とは、基本的には社会の中の多方面にわたる多様な価値をみとめながらも、グローバリゼーションの過程においての国家目標に対するコンセンサスを得ること、また別の見地からは環境問題を含めた地球に住むすべての人々の共通利益を考慮にいれながら、21世紀でも両立できうる社会経済のビジョンを確立するということです。

4.日本における3つの根底的なシステムの変化
 19世紀半ばからの近代化において、日本は根本的な社会システム変化を必要とする3つの課題に直面しました。1つめは、19世紀半ばに西洋の巨大なパワーに直面したときであり、2つめは1945年に戦争に敗北し、民主化を進めることになったときでした。そして、現在の3つめの挑戦は、基本的にはグローバリゼーションの過程においてとらえられますが、先に述べた短期・中期・長期的な課題を同時に解決しなければならないところに政策実行の大きな困難が存在しています。この意味において、単一の経済政策、政治的、社会政策ではなく、その実行には苦悩を伴う多元的な政策を同時にすすめて、問題に対処していく必要があるのです。

 結局のところ、経済構造の効率化、経済パワーの増強、市場経済、政府支出・財政構造、行政・官僚の改革、社会保障改革、税制改革などを含む包括的、かつ断固とした改革が、21世紀の日本の未来のために必要なのです。

 橋本首相は、昨年の総選挙前の9月に日本プレスセンターにおいて、また総選挙後の10月に国会において6大改革を実現するとの強い決意を表明しました。その改革とは、行政改革、財政改革、社会保障改革、経済改革、金融改革、教育改革であります。私は、それらの改革がどれほど困難なものであろうと、橋本首相は問題を避けて通ろうとするようなことはしないと信じております。


5.財政面から見る日本経済の現状
 さて、今度は財政面から日本経済の現状を見ていきたいと思います。1980年代の日本は、特にアメリカから内需を拡大し、国内市場を拡大することを求められていました。日本国内でも、高い経済成長が続いている間に、社会資本の増大やソーシャル・インフラストラクチャーを充実することの重要性が討議されていました。

 この間の長い経緯を省略しますが、最終的には地価の極端な上昇を招くバブル経済となり、その弊害を取り除こうとする政策が、ソフト・ランディングでなくハード・ランディングとなり、急激な経済の収縮とバブル経済の崩壊の後、莫大な額の不良債権が発生しました。(大蔵省、1996年9月、30兆円/1997年3月、28兆円、ノンバンク−信金、農協、信組−を含め、企業の債務補償などを含めると38兆円/外国調査機関、50−100兆円)このために、日本は金融システム改革の必要に迫られたのです。

 しかし、前向きの経済改革政策を実行に移す前に、バブル経済の後始末を付けることが早急に求められます。現在の経済局面は、戦後経済で私たちが経験したような経済循環とはまったく異なっています。1992年から1995年の間に経済局面を改善するために、66兆円をつぎ込んだ6つの財政政策が実施されました。しかし、同じようなバブル経済を経験したアメリカに比べ、不良債権救済のために直接使われたのは10%以下に過ぎませんでした。もし、アメリカのような力強い直接的な救済策が早い段階でとられたならば、日本国民の苦痛はもっと小さかったに違いありません。しかし、もしこのような政策が早期の段階で実際にとられたならば、資産価値の上昇で利益を得たを思われる人々に対するマスメディアや世論の非難の声はさらにいっそうつよまったことと思われます。ですから、資産デフレーションが極度に達した経済状況下で、なんらかの直接的な救済策がとられなければ、財政政策の効果は非常にかぎられるとの印象を人々に与えてしまったのです。しかし、本当は、最も悪いところを治療すべきでしょう。

 財政再建と両立する形での何らかの智恵が必要であるといえます。これは、金融システムの安定にも深く関わってきます。さて、先に述べた66兆円の財政政策だけが、政府の財政不均衡の悪化の唯一の理由ではないのですが、OECDのチャートを見るとわかるように、日本の財政均衡の見通しは決して明るいものではありません。もちろん、日本で高齢者が増加していくと、高齢化社会のために、とくに年金、医療費、社会保障、公的介護施設などへの支出は増大していきます。厚生省の見通しによると、人口は2005年から減少に転じ、子供の数の減少と長命化のために、生産労働人口(15〜65歳)は1995年から減少していきます。そして2020年ころには、高齢者1人を6人で支える現状は、1人を2人で支えるという状況に変わっていくのです。

 結局のところ、財政赤字増加の過程では、国内経済ファクター、利息、価格、為替レートなどのの経済変数は市場を通じて変化していきます。すなわち、利息が上がれば、投資は減少し、生産性は停滞、他方では失業者が増え、価格は上昇します。そして、生産性が停滞すれば、為替レートは下落します。これは、価格上昇の要因になります。失業とインフレは同時に進行し、実質賃金は減少、生活水準もまた落ちてしまうのです。

 さてそこで、経済審議会による次のチャートからは、財政の観点のみを考えると、現状をそのままにしておけば、日本は長期的に凋落していくだろうということが読み取れます。


5.改革の必然性
 以上述べた背景から、私たちは橋本首相によって提案されたシステム改革に挑戦していくほか道はありません。もし今後数年間のうちに、抜本的改革が成功したならば、日本経済が21世紀に先進国として新たな繁栄を実現する機会があるでしょう。改革は2つの方向に向かってなされなくてはなりません。一つは経済の生産構造に関することです。すなわち、行・財政改革、財政、雇用システム改革、産業構造、市場開放、そして規制緩和の進展などです。もう一つは、社会保障システム(年金、医療費など)や税制改革のような収入と富の再分配に関することです。

 現在のところ、あらゆるレベルにおいて、討論や審議、提案がなされています。たとえば、次のチャートは、11月初めに政府の行政改革本部において整理された省庁再編を示したものです。

 日本にとって問題なのは、果たしてこのような抜本的改革を行うだけの経済力が残っているかどうかということであります。 日本の経済規模は依然として世界のGNPの16%をしめており、かなりの資本を保持しています。さらに日本産業の強い点は、世界における競争力のあるさまざまな分野における製造の技術です。たとえば、機械部品、コンピューター、計測機器、特殊素材、液晶、電子部品、特殊部品、ボールベアリング、特殊鉄鋼素材、セラミックなどです。経済改革を推し進める過程において、日本が目指すべき方向の一つは、高付加価値素材産業の発展により、日本が他国に人工資源を提供する国になるということです。そのためには日本は、たとえばハイテク分野における発展能力を示さなくてはなりません。それは核融合、超伝導、バイオテクノロジー、燃料を高レベルで節約する高圧縮比エンジン、鉄製造のための溶融還元炉、そして加工テクノロジーなどです。さらに重要なのは、情報化社会の構築に向けての国民の強靱な努力です。情報化社会は金融システムの再活性化と製造業革新と生産と調和する環境テクノロジーの発展と関係があるためです。

7.包括的改革のための戦略
 それでは、改革が包括的でなくてはならないのですが、どのようなパイオニア的政策によれば橋本首相が提唱した6つの改革を実現する突破口をひらいていけるのでしょうか。私は第一に規制緩和、第二にいわゆるビッグバンといわれる金融改革、そして第三に、情報化社会の実現のための戦略的発展への集中的な投資であると考えております。

 ここでちょっと触れたいのは、社会の多様な価値を認め、グローバリゼーションの必然性や、総合的世界社会の形成過程を認識しつつも、21世紀に向けて一般に共通に認識することのできる国民国家の共通の理念を、模索することは依然として必要です。今までのところ、このことにはそれほどの注意は払われていません。このプレゼンテーションの最後にこのことについてふれたいと思います。

規制緩和
 規制緩和でいちばん重要なことは、情報開示の原則の徹底であり、世界標準にのっとったシステムの構築であります。もろもろの産業に対する規制緩和もこの観点からなされ、企業に対する税制改革も世界に対して競争力があるように世界標準にのっとって行われるべきです。しかし、世界標準自体が不合理な場合、戦略的、戦術的にも世界を説得していくような国家の機能も必要です。
 さて、次のチャートは、今年の5月に通産省の研究グループが発表した(閣議了承)規制緩和の経済効果に関するものです。このチャートの過程とメカニズムを効果的にするため、研究グループはいくつかの条件を設定しました。そして、経済の5分野、特に物流、エネルギー、情報通信、金融・流通(小売り・卸し)にターゲットを絞りました。以下に挙げるのはその例です。

1) 物流――道路貨物運送、鉄道、海運、港湾の各分野で需給調整規制を廃止。2)エネルギーー国際的に遜色のないコスト水準を実現。3)情報通信―国際的水準に匹敵するような低コストと多様な電気通信サービスを実現。通信分野においては、アメリカ並の生産性を実現。4)日本の金融市場をニューヨークやロンドン並の国際金融市場として再生。5)流通(小売り、卸し)−過去の流通分野のトレンドが今後とも継続。

 これらの条件設定と、1995年を始めの年と考えると2001年までには規制緩和の効果があらわれるとの仮定に基づいた場合、生産性の向上によって規制緩和は成長を促します。なぜなら、生産性の向上は価格を引き下げ、新たな財とサービスに対する新たな需要を生み出すからです。このシミュレーションにおいて、規制緩和は実質GDPを6。0%押し上げると考えられています。


 このシミュレーションの結果、他に指摘されることは、(1)39兆円の設備投資の増加、(2)消費者価格の3.4%の下落が約16兆9000億円の所得還元効果をもたらす(1世帯あたり約370000円)(3)産業の雇用数の大変動(一方で規制緩和は新たな雇用を電気通信やサービス産業において生み出し、卸売り部門、金融、運輸では減少する。つまり産業形態によって広範な不均衡が生まれると仮定している)。以上は通産省の研究グループの発表ですが、民間の学者によると、適切な改革が並行して行われれば、全体として、わずかながら雇用は増加するとのシミュレーションもあります。 重要なのは、雇用の減少と増加の循環で出来るだけスムースな移行をはかり、一方で、ソーシアルセーフテイネットワークを政策として用意しておくことでしょう。

ビッグバン
 このプレゼンテーションで改革について私が強調したいことの2つめのポイントは、ビッグバンについてです。ここで本題に入る前に、関連して、私は1992年に非常に重要な経験をしました。現在日本の政・官界、メディア、研究者、そして世論においては、この内容の重要性は気づかれていないばかりか、よく考えられてもいません。1992年9月7日、私は「英国のEU議長国としてのリーダーシップと1992年以降の世界」というエリザベス2世国際会議センターで開かれた会議に出席しました。その場において、時のメージャー首相はイギリスは精力的にヨーロッパ統合を進めていくということを強調しました。その2週間後、イギリスは失業率の高さを考慮して、ERM(欧州通貨調整メカニズム)から脱退しました。イングランド銀行がジョージソロスに敗北したというセンセーショナルな面からこの事が語られがちですがそうではなくて、この出来事は金融政策の重要性、他の経済政策との関連、そして財政政策と金融政策との間の整合性に対する内閣、政府の責任を示しているのです。

 現在世界の為替市場では、一日に120兆円が動いていますが、それは実体経済の規模をはるかに越えています。グローバリゼーションが加速するにつれ、多くの国々は同じような状況を経験するでしょう。これは、グローバル化、自由化の市場のなかにおいても世界共通の基盤に基づいた計画的かつ公正なルールが必要な分野であります。 このような状況に対処するために、国内的には国民国家の政府は有効で責任をもったシステムを確立することが求められているのです。

 直裁簡明に言えば、グローバリゼーションのなかで市場経済中心へと向かうトレンドと、国民国家における政府の政策への責任ということとは別の事であるということです。私は日本の改革の省庁再編や行政改革、内閣の機能変革においてこのことが考慮されているのか、疑問に思います。

 日本版ビッグバンに話を戻しますと、これには3つの要素が含まれます。1つ目は日本の金融システムの自由化です。これは規制を緩和することによって、市場原理が働く金融システムを構築することを目的とします。2つ目は公正な市場ルールによって運営される、できるだけ透明性のある市場をつくることです。これらの変化によって、以下のようなことが期待されています。

(1)異なる法律で規制されている銀行や証券会社、保険会社間の障壁を取り除く、(2)能率的かつ効率的な組織にするための、持ち株会社の解禁、(3)国際金融取引の自由化、外国為替管理法は来年4月に施行できるようすでに改定済みなので、その結果、日本の会社や個人は外国に預金、投資することが可能になり、また外国からも日本に預金、投資することができるようになる。(4)証券会社の仲介手数料の廃止、(5)金融商品やサービスの自由化および多様化。これらの他に、会計制度において、時価評価基準の導入や税制改革などが導入される。

 2001年までに完了されるこの幅広い分野にわたる改革によって、日本の金融市場が再び活発化することが期待されています。海外の投資家にとって、日本市場は魅力的ではありません。それは数多くの規制と高いコストのためです。自由化と仲介手数料や税の減少によって、日本市場は投資家に魅力ある存在となると考えられます。

 また3つめには、円の国際化への期待があります。日本は世界で2番目の経済大国であるにも関わらず、円は世界で2番目に強い通貨ではありません。世界では、ドルが幅広く使われており、2年後にはヨーロッパにユーロが出現します。日本版ビックバンは、魅力的な市場と円の国際化を目指しているのです。(ドル、マルクが、それぞれ、自国の輸出・輸入に使われる割合と円の割合を比べると円の方がはるかに低い。この面からだけでも円の国際化は進む余地がある) 日本がバブル経済の後始末に追われている間に、世界経済はさらにグローバルになりました。情報技術がその傾向を押し進め、通貨の流通量は爆発的に増加しました。

 このような状況に対処するためには、世界の金融機関はリストラをすすめ、金融技術と金融商品を開発する必要があります。日本はこの点で非常に遅れており、追いついていかなくてはならないことを認識しなくてはなりません。(アメリカは、ビッグバンでGDP金融セクターの占める比率を5%から15%へ、イギリスは、5%から20%へ増加したと言われ、日本も5%から10%ぐらいはときたいされている)

8.マクロ的パーフォーマンス
 それでは、改革が成功した場合、どのようなマクロ経済的パフォーマンスが期待されるでしょうか。私はこれに関しては専門家ではありませんが、ある日本の研究者が改革を行われた場合と行われなかった場合の成長率の比較を示しています。それによると、1990年代後半、成長率は2.4%になり、2000年代には1.8%、2010年代には1.55%になります。しかし、アメリカおよびアジアの経済状態が良好であり、中国が市場経済に向けて国際化を進めるならば、中国も日本も高い成長率を記録することができます。

 かつて、日本の国の発展のためのキャッチアップの過程は世界のミラクルであるといわれました。アジアのいくつかの国は、同じような戦略をとりました。アジアの雁行形態の経済発展といわれるゆえんです。しかし、日本は今日、情報化社会の形成からはいまだに遅れをとっていることを十分に反省しなければなりません。一方では、官僚主導型でなく、真の意味での民主化社会のモデルをつくっていかなくてはなりません。もし、日本の発展パターンが、経済成長の後にバブル経済をもたらすものであることしか示さず、また環境問題のような地球規模の条件と共存しえない経済であることを示しているのであれば、その努力は無駄としかいえません。ですから今後、私たちは健全な経 済の真に良い例をつくっていく必要があるのです。

終わりに代えてー21世紀へ向けての国民国家としてのビジョン

 最後に、私たちは21世紀に向けて、どのような形態の国民国家を目標にしていけばよいのでしょうか。異なる歴史的、政治的、経済的、そして社会的条件によって影響されているにもかかわらず、グローバリゼーション、そして世界社会の統合化は進んでいます。そのなかで、どのような国民国家を目指せばよいのでしょうか。

 グローバリゼーションにおいては、市場中心型社会になっていくでしょう。民間セクターが行うことができる分野であるかぎり、公共セクターはその分野からは距離をおくべきです。しかし、世界統合社会と世界政府がつくられるまでは、公共セクターは政策を実行したり、他の国家の政策との調整をしなければならないため、国民国家の理念は消えることはありません。そのため、社会の多様性を認めながら市場経済と両立し、時代、時代の社会目標に対して適切な相対的な国家目標をもった国民国家の理念というのは存在すると考えます。

 それでは国民国家の理念を考えるにあたっては、どのような核になる考え方をしていけばよいのでしょうか。

 たとえば、1956年、私は「現代国家の指導理念−そのヒューマニズム的基礎」という論文を書き、その中で、現代の様々な問題、デモクラシー国家の概念的理想型の中核について論じました。その中核的概念とは、政治的政策、経済的政策、社会的政策そしてその他の政策が調和されるべきデモクラシー国家の概念的類型という意味です。そのような概念を煎じ詰めていくと、私は第一に、(1)生命という無限な価値をもつ個人、その基盤としての「家族」(宗教や国や社会の発展段階によって個人と家族との関係は様々であるが、たとえばアジア的な社会では、「家族」が個人との関係においても、社会との関連においても、より強い要素をもっていると考えられる)、(2)共通の経済的利益や、精神的目標をもった「グループ」または「組織」〜企業、階層、組合など、時には宗教団体も〜、(3)共通の歴史、政治・経済、社会的な条件ならびに背景をもつ「民族」もしくは「種」、(4)この地球上に自然に対しても、人間同士でも生きていかなくてはならない人類の「類的な側面」、の4つに帰結すると論じました。

 当時私としては、国家がどのような国家をめざすのか、例えば「小さな政府」がよいのか、「大きな政府」がよいのか、「福祉国家」が望ましいのか、「競争的市場国家」がよいのか、いろいろな目標があるにせよ、少なくとも近代国民民主制国家においては、これらの目標に対して、国民が選んだ政府が政策を採択し、計画し、修正する時に、その政府は上記4つの人間社会の要素のハーモニーをはかることを忘れてはならない、ということを述べたのです。そうすることによって異なった経済的利益や、異なった発展段階や、異なったイデオロギーからいろいろな問題が生じても、国内的にも共存しうるし、国家間、国際的にも共存しうる、ということを論じたものでした。

 もし、私たちが21世紀に直面している現在の日本−競争力を持つべきで、しかし財政改革と情報化社会の進展において遅れており、各国と平和のなかで共存し、この地球上で限られた資源と共通の環境的な運命を持つ−の問題に対してもっとも適切な国家理念を考えるならば、どのようなモットーが必要なのでしょうか。私は個人的には、日本は知的創造力があり、技術革新的(又は、生産システムインノベーテブ)で、地球環境共存社会と呼ばれる国家を作り上げていくことが必要であると考えております。

 最後に、日本国民が、21世紀に向けてその活動を活性化しうるように、もっともふさわしいビジョンを日本という国家を通じて描けることを祈って、私のプレゼンテーションを終わらせたいと思います。何故なら、国民が共有して持つことの出来るビジョンこそ経済のパーフォマンスを決めていく大きな要素であるからです。



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